« お知らせ »
この記事を読んで下さってる皆さんは、もう御存知の事なんですが、当ブログの閲覧を、一時的にパスワードログイン方式にしました。
その理由なんですが……
事の発端は、昨日、急激にアクセス数が増えた事でした。そこでアクセス元URLを確認した所、どうやら2ちゃんねるの何処かに当ブログへの直リンクが貼られたようです。
そういった事は過去にもあったのですが、以前記事に対し意見ではなく荒らしめいたレス(消去済み)があった事もあり、自己防衛的な意図から一時的にこのような処置に至った次第です。
皆様には御迷惑をお掛けしますが、御理解頂ければと思います。
なお、このパスワードログインは、一度入力すれば、Cookieを削除しない限り、そのまま閲覧が可能なようです。
よろしく御願いします。
その理由なんですが……
事の発端は、昨日、急激にアクセス数が増えた事でした。そこでアクセス元URLを確認した所、どうやら2ちゃんねるの何処かに当ブログへの直リンクが貼られたようです。
そういった事は過去にもあったのですが、以前記事に対し意見ではなく荒らしめいたレス(消去済み)があった事もあり、自己防衛的な意図から一時的にこのような処置に至った次第です。
皆様には御迷惑をお掛けしますが、御理解頂ければと思います。
なお、このパスワードログインは、一度入力すれば、Cookieを削除しない限り、そのまま閲覧が可能なようです。
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« 惨劇 秋葉原の献花台 不届き者 供え物泥棒 »
本日放送のスーパーモーニングにて、“惨劇 秋葉原の献花台 不届き者 供え物泥棒”という内容が放送された。
要するに秋葉原の献花台から飲み物やお菓子、たばこを盗む人が不届き者が続出しているというのである。
が……
実際にVTRを見ていると、献花台から物を持ち去る人の多くがホームレスなのである。
ボロボロの服、整える事さえ適わない髪、両手には拾い集めた空き缶の袋、足取りも重く、恐らく食うや食わざるの生活を強いられている人達なのだろう。
そんな人達が献花台の前を通り掛り、供えられたジュースや菓子を持って行く。
それも根こそぎ持って行く訳ではない。申し訳無さそうに、数個を選び、持って行くのである。
しかし、番組ディレクターは容赦なく後を追いかけ、カメラを向ける。
「ねェ、なんで持ってかれたんですかぁ?」
「亡くなった人たちのために皆さんがお供えしてるものなんだからァ」
「こういうのっていけないと思うんですよォ」
「ねえ、返しましょうよォ」
と、詰め寄る。
相手が食うや食わずやの生活困窮を訴えてもお構いなし「泥棒にも三分の理」とでも言う勢いだ。
実際には、大凡生活に困窮している様子もない大学生っぽい男性なども献花台から物を持ち去って追求されていたのだが、それらの人達と生活困窮者の区別もない。
その挙句、何処かの金持ちっぽいオバサンにインタビューして「どうしてそんな事するんですかねぇ。不思議でしょうがない」と言うシーンまで入れて、自分達の言い分を正当化した。
私は、これは公平性を無視した手前勝手な正義感報道なのではないかと思う。
もちろん、献花台から物を持ち去る行為が、悪い事であるのは間違いない。が、ホームレスも、好き好んで持ち去っている訳ではない。むしろ複雑な心境と眼前にある食べ物の間で苦悩し、葛藤の末に、持ち去っているのである。
生きる為に……。
そういった事情と実情を無視し「献花台の物を無断で持って行くのは犯罪だ」の「倫理的に問題だの」と押し付ける事に、どれだけの正当性があるのか?
番組によると、この献花台に供えられたペットボトルはこれまで1万本に上るという。
それらは、千代田区の管理の元で保管されているという事だが、物が物だけに、それは実質的な破棄処分だ。
同番組でも、ホームレスの困窮振りを取り上げられる事もあるし、日本の飽食と大量の破棄、ゴミ問題が取り上げられる事もある。
が、そういった多面的な物の見方をせず、ただその都度の取材意図のみでの八方美人的な報道を行うのは如何な物か……。
この場合、献花台から物が持ち去られるという側面と同時に、生を繋ぐ為に献花台から物を持ち去ってしまう生活困窮者の苦しい胸の内を報じてこそ、本当の意味でバランスのとれた報道と言えるのではないか……。
要するに秋葉原の献花台から飲み物やお菓子、たばこを盗む人が不届き者が続出しているというのである。
が……
実際にVTRを見ていると、献花台から物を持ち去る人の多くがホームレスなのである。
ボロボロの服、整える事さえ適わない髪、両手には拾い集めた空き缶の袋、足取りも重く、恐らく食うや食わざるの生活を強いられている人達なのだろう。
そんな人達が献花台の前を通り掛り、供えられたジュースや菓子を持って行く。
それも根こそぎ持って行く訳ではない。申し訳無さそうに、数個を選び、持って行くのである。
しかし、番組ディレクターは容赦なく後を追いかけ、カメラを向ける。
「ねェ、なんで持ってかれたんですかぁ?」
「亡くなった人たちのために皆さんがお供えしてるものなんだからァ」
「こういうのっていけないと思うんですよォ」
「ねえ、返しましょうよォ」
と、詰め寄る。
相手が食うや食わずやの生活困窮を訴えてもお構いなし「泥棒にも三分の理」とでも言う勢いだ。
実際には、大凡生活に困窮している様子もない大学生っぽい男性なども献花台から物を持ち去って追求されていたのだが、それらの人達と生活困窮者の区別もない。
その挙句、何処かの金持ちっぽいオバサンにインタビューして「どうしてそんな事するんですかねぇ。不思議でしょうがない」と言うシーンまで入れて、自分達の言い分を正当化した。
私は、これは公平性を無視した手前勝手な正義感報道なのではないかと思う。
もちろん、献花台から物を持ち去る行為が、悪い事であるのは間違いない。が、ホームレスも、好き好んで持ち去っている訳ではない。むしろ複雑な心境と眼前にある食べ物の間で苦悩し、葛藤の末に、持ち去っているのである。
生きる為に……。
そういった事情と実情を無視し「献花台の物を無断で持って行くのは犯罪だ」の「倫理的に問題だの」と押し付ける事に、どれだけの正当性があるのか?
番組によると、この献花台に供えられたペットボトルはこれまで1万本に上るという。
それらは、千代田区の管理の元で保管されているという事だが、物が物だけに、それは実質的な破棄処分だ。
同番組でも、ホームレスの困窮振りを取り上げられる事もあるし、日本の飽食と大量の破棄、ゴミ問題が取り上げられる事もある。
が、そういった多面的な物の見方をせず、ただその都度の取材意図のみでの八方美人的な報道を行うのは如何な物か……。
この場合、献花台から物が持ち去られるという側面と同時に、生を繋ぐ為に献花台から物を持ち去ってしまう生活困窮者の苦しい胸の内を報じてこそ、本当の意味でバランスのとれた報道と言えるのではないか……。
« 山本モナ騒ぎに思う »
本日放送「サキヨミ」の冒頭、メインキャスターの一人伊藤利尋(フジテレビアナウンサー)が、今回の山本モナ騒動の謝罪をしていた。
が……
果たして、この種の謝罪が必要なのだろうか……?
確かに今回の騒動は山本モナ及び二岡の行為は軽率であり、それによって世間を騒がせた事は事実であろう。
倫理的問題として、番組を降板するのも、まあ仕方無い事だろう。スポンサーのイメージなんてのもあるしね。
しかし、報道と名のつく番組の冒頭で、それも本人ではない人物から謝罪をするような事象なのだろうか……。
不倫は確かに倫理的問題はあるが、犯罪行為ではない。
詰まる所、所詮はワイドショーの芸能ネタや週刊誌に出てくるゴシップネタの類ではないか。
それをわざわざ、報道番組の時間を裂き、謝罪しなければならないのか……。
そこには、フジテレビに寄せられた1200件を超えるバッシングの存在が見える。
もちろん一概にバッシングが悪いとは言わないが、事象があまりにも低俗過ぎる。
こんなバカげた事で、わざわざテレビ局に電話だかメールをする人が、1000人以上もいた事だと思う。
実際の所、番組の方も「番組に火の粉を被らないように」という、事無かれの反応だったのだろう。
しかし……
倖田來未の「羊水が腐る」発言の時などもそうだが、そういった案件にメディアやが過敏に反応して大騒ぎする事が、バッシングを趣味とするような連中を増長させているのではないか?
それが結果として、社会全体の低俗化に一役かっている気がするのは、私だけだろうか……。
が……
果たして、この種の謝罪が必要なのだろうか……?
確かに今回の騒動は山本モナ及び二岡の行為は軽率であり、それによって世間を騒がせた事は事実であろう。
倫理的問題として、番組を降板するのも、まあ仕方無い事だろう。スポンサーのイメージなんてのもあるしね。
しかし、報道と名のつく番組の冒頭で、それも本人ではない人物から謝罪をするような事象なのだろうか……。
不倫は確かに倫理的問題はあるが、犯罪行為ではない。
詰まる所、所詮はワイドショーの芸能ネタや週刊誌に出てくるゴシップネタの類ではないか。
それをわざわざ、報道番組の時間を裂き、謝罪しなければならないのか……。
そこには、フジテレビに寄せられた1200件を超えるバッシングの存在が見える。
もちろん一概にバッシングが悪いとは言わないが、事象があまりにも低俗過ぎる。
こんなバカげた事で、わざわざテレビ局に電話だかメールをする人が、1000人以上もいた事だと思う。
実際の所、番組の方も「番組に火の粉を被らないように」という、事無かれの反応だったのだろう。
しかし……
倖田來未の「羊水が腐る」発言の時などもそうだが、そういった案件にメディアやが過敏に反応して大騒ぎする事が、バッシングを趣味とするような連中を増長させているのではないか?
それが結果として、社会全体の低俗化に一役かっている気がするのは、私だけだろうか……。
« AV研究所 チャット参加の皆さんへ »
え〜っと……
私事なのですが、本日の夜、友人達と会う事になりまして
予定では12時頃には帰宅するつもりなのですが、どうなるか分かりません。
という事で、本日のチャットに参加できない可能性があります。
悪しからず……
私事なのですが、本日の夜、友人達と会う事になりまして
予定では12時頃には帰宅するつもりなのですが、どうなるか分かりません。
という事で、本日のチャットに参加できない可能性があります。
悪しからず……
« カレセン »
世間の若い女性の間で“カレセン”なる物が流行の兆しをみせているそうだ。
参照 Yahoo!辞書↓
漢字で書くと「枯れ専」。50〜60歳の「枯れたオジサン」たちに惹かれる30代の女性をさす。いわゆる「ちょいワルオヤジ」ではなく、本当に枯れているオジサンが好きなのである。彼女たちが「枯れた男の魅力」として挙げるのが、「一人の時間をもてあまさない」、「路地裏が似合う」、「ビールは缶より瓶」、「ペットは犬より猫が好き」、「一人でふらりと寄れる行きつけの店がある」、「さりげなく物知り」、「金や女を深追いしない」、「人生を逆算したことがある」、「自分の年齢を受け入れている」などである。若いときは自分の世界に没頭して独身だったのが、老いて輝くのである。出版社のアスペクトは『カレセン』と題した単行本を出している。
まあオジサンと言えば“臭い”“汚い”が代名詞だった頃から見ると、オジサンも大した進歩だ。
が、少し前に流行った“ちょいワルオヤジ”からこの“カレセン”という流行の背景にゆゆしき社会情勢を感じるのは私だけだろうか……。
こういった流行物が20代の女性から発信されているとすれば、本来、その視線の先にあるべき男性は20代後半〜30代前半の筈だ。
が、その世代と言えば、不景気の頃に就職し、ロクに昇給もできなかった人達が非常に多い世代である。非正規社員、フリーター、ニートが極端に多い世代でもあり、一部の持つ者と大部分の持てざる者の差が大きい世代でもある。
つまり、この世代の男性は、とにかく経済力の無い人達が圧倒的に多い世代なのである。
まあ、女性が結婚を考える時、相手の男性のとりあえず安心できる収入は最低でも400万〜500万円だそうだが、現在の20代後半〜30代前半男性の平均年収を考えれば、その世代の男性の半数以上は結婚に不安を感じる程度の収入しか無い事になる。
一方……
“ちょいワルオヤジ”からこの“カレセン”に該当する世代はと言うと、戦後混乱が収まった頃に就職し、バブル崩壊の時までは好景気続き。現役であれば年功序列の頃の影響がまだまだ強いい給与を維持しているし、引退世代であれば年金を手にしている。
そして子育てにも一段落している事から、経済力には有る程度の余裕が有ると言える。
と言う事は……
“ちょいワルオヤジ”“カレセン”と言う流行りは、若い女性がその依存相手として、適齢たる男性を見限り、経済力のあるオヤジ世代に (この場合、結婚という社会契約が成立するか否かは別として) 流れているという事なのではないだろうか?
そして……
“ちょいワルオヤジ”→“カレセン”という流れには、もう1つ問題がある気がする。
そもそも“ちょいワルオヤジ”とは、、不良がかった、ワイルドさを持った中年男性の事である。
これは男性としての資質であり、魅力である。
が、今回の“カレセン”はと言うと、本当に枯れているオジサンであり、金や女性に執着しないような人である。
これは女性の立場から見れば、自分の為に金は使ってくれるが、その見返りとしての関係性(肉体関係を含む)は強く望まないような人という事なのではないだろうか……。
つまり、男性としての価値などどうでもよく、深く干渉したりもせず、ただ資金だけは潤沢に投下してくれるような男こそ、彼女達が求めている男性像であり、その実は単に“都合が良い”というだけなのではないだろうか。
だとすれば、寂しい……。あまりにも寂し過ぎる……。
自分で言っておいて何だが、私はこの自論が正しく無い事を強く望む。私も一人の男性として、女性の価値観がそれ程に金と言う物に傾倒しているとは、思いたくないものだ。
参照 Yahoo!辞書↓
漢字で書くと「枯れ専」。50〜60歳の「枯れたオジサン」たちに惹かれる30代の女性をさす。いわゆる「ちょいワルオヤジ」ではなく、本当に枯れているオジサンが好きなのである。彼女たちが「枯れた男の魅力」として挙げるのが、「一人の時間をもてあまさない」、「路地裏が似合う」、「ビールは缶より瓶」、「ペットは犬より猫が好き」、「一人でふらりと寄れる行きつけの店がある」、「さりげなく物知り」、「金や女を深追いしない」、「人生を逆算したことがある」、「自分の年齢を受け入れている」などである。若いときは自分の世界に没頭して独身だったのが、老いて輝くのである。出版社のアスペクトは『カレセン』と題した単行本を出している。
まあオジサンと言えば“臭い”“汚い”が代名詞だった頃から見ると、オジサンも大した進歩だ。
が、少し前に流行った“ちょいワルオヤジ”からこの“カレセン”という流行の背景にゆゆしき社会情勢を感じるのは私だけだろうか……。
こういった流行物が20代の女性から発信されているとすれば、本来、その視線の先にあるべき男性は20代後半〜30代前半の筈だ。
が、その世代と言えば、不景気の頃に就職し、ロクに昇給もできなかった人達が非常に多い世代である。非正規社員、フリーター、ニートが極端に多い世代でもあり、一部の持つ者と大部分の持てざる者の差が大きい世代でもある。
つまり、この世代の男性は、とにかく経済力の無い人達が圧倒的に多い世代なのである。
まあ、女性が結婚を考える時、相手の男性のとりあえず安心できる収入は最低でも400万〜500万円だそうだが、現在の20代後半〜30代前半男性の平均年収を考えれば、その世代の男性の半数以上は結婚に不安を感じる程度の収入しか無い事になる。
一方……
“ちょいワルオヤジ”からこの“カレセン”に該当する世代はと言うと、戦後混乱が収まった頃に就職し、バブル崩壊の時までは好景気続き。現役であれば年功序列の頃の影響がまだまだ強いい給与を維持しているし、引退世代であれば年金を手にしている。
そして子育てにも一段落している事から、経済力には有る程度の余裕が有ると言える。
と言う事は……
“ちょいワルオヤジ”“カレセン”と言う流行りは、若い女性がその依存相手として、適齢たる男性を見限り、経済力のあるオヤジ世代に (この場合、結婚という社会契約が成立するか否かは別として) 流れているという事なのではないだろうか?
そして……
“ちょいワルオヤジ”→“カレセン”という流れには、もう1つ問題がある気がする。
そもそも“ちょいワルオヤジ”とは、、不良がかった、ワイルドさを持った中年男性の事である。
これは男性としての資質であり、魅力である。
が、今回の“カレセン”はと言うと、本当に枯れているオジサンであり、金や女性に執着しないような人である。
これは女性の立場から見れば、自分の為に金は使ってくれるが、その見返りとしての関係性(肉体関係を含む)は強く望まないような人という事なのではないだろうか……。
つまり、男性としての価値などどうでもよく、深く干渉したりもせず、ただ資金だけは潤沢に投下してくれるような男こそ、彼女達が求めている男性像であり、その実は単に“都合が良い”というだけなのではないだろうか。
だとすれば、寂しい……。あまりにも寂し過ぎる……。
自分で言っておいて何だが、私はこの自論が正しく無い事を強く望む。私も一人の男性として、女性の価値観がそれ程に金と言う物に傾倒しているとは、思いたくないものだ。

